あいさつと歴史⑤〜自分の信じる道へ〜

師匠が信じる道を脇目も振らずに走っていると、ある日突然、咳が止まらなくなった。

微熱も続き、しかし、風邪じゃないのは、わかっていた。

寝ようにも寝れず、あまりに苦しいので、病院に行き、吸引機をもらって、施術の合間に吸っていた。

原因は、不明。

その時に思った。

「自分の身体は、自分で守らないと」

今思えば、愚か者だった。

自分の人生をどう進んでいいか?

何が自分の人生なのか?

わからない。

わからないのもあるが、

「自分の走る道なんてない」

と思って生きてきた。

つまり、見たくないものを見ないようにし、誰かについて行くことで、怪我をしないように生きていた。

いつになっても自分の人生を走る勇気を持てなかっただけなのだ。

それに気づいたとき、自分の中で何かがプツンと切れた。

「このまま終わるのは、嫌だな」

当時、師匠の整体スクールでインストラクターをしていた僕は、

その仕事を楽しんでいたが、自分の人生のためだけに、休ませてもらった。

休んだら

「もう戻れない」

とわかっていながら休み、自分ができることを探っていた。

不安しかないなか、まずは病気を治し、それから自分の信じる道を探し始めた。

そのとき感じたのが、

「生きているとは、どういうことか?」

という問いだった。

答えらしきものは、まだ掴めていないが、ひとつだけ言えることがある。

それは、

「人間とは、わからないもの」

わからないから、

「わかりたい」と思うし、

わからないから、

「答えは出ない」

ということだった。

「それなら簡単だ」

人間を

答えのある生き物

として捉えると、答えらしきものを見つけては、

「やっぱり違う」

とまた答え探しをやってしまうが、

「人間に答えはない」

という前提で動くと、答えらしきものが見つかる。

答えがあるという前提で動くと

つい色々な数多くの治療テクニックを学び、どれも習得がおぼつかないが、

「答えのない道なのだ」

という前提だとひとつの技を深めようとする。

「深めた先に見えるものがある」

これだけ様々な情報が溢れる社会で、

「ひとつのものを深める」

というのは、もしかすると難しいのかもしれない。

結局、ひとつのものを深めるというのは、

様々な視点から技を人間を見る

ということにつながるのだが、だから「色々な治療テクニックや技を学ぶ」というのとは、違う。

そうではなくて、自分の師匠や先生、憧れの先輩が

生きている道や追求しようとしていることを

「どの人よりも理解しよう」

ということのために、様々なテクニックや技を学ぶのであれば、

今の治療テクニックや技が活きる。

僕自身は、師匠の技から離れ、自分自身の信じる道を進んでいるが、

技から離れただけで、

師匠が追求しようとしていること、

これを

「理解しよう」

という情熱は、いまだに衰えを知らない。

どんな治療テクニックもどんなメソッドやコンテンツも

創作した人の情熱や志があれば、それは素晴らしいもの。

その素晴らしい人やものを

誰かが継承する、継承したい

という思いにかられたときに、僕の提供するものが、その一助になることを信じる。

なぜ、あの人は稼げているのか?

なぜ、あの人はあんなにも愚直でいられるのか?

なぜ、あの人の技は、治療効果があるのか?

それを求め、追求してきた結果が、

「集客月3人でも毎月100万以上」

この秘訣をこれから少しずつ公開したいと思う。

皆さんの治療活動における繁栄を願って。

濱田雄一

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